ヒッグス粒子のお話【第3回】

さて前回の復習から入りましょう。
ヒッグス粒子はとても不安定で、生成されてもすぐに他の素粒子へ崩壊してしまいます。さまざまな壊れ方をするのですが、その中でも「ガンマ線2本」へと崩壊する壊れ方はシンプルかつ特徴的なので、一番の注目株となります。しかし、ヒッグス粒子から出てくるもの以外にも、一回の衝突から「ガンマ線が2本」が発生する反応はたくさん起こります。これを「バックグラウンド事象」と呼びます。
何とかして、ヒッグス粒子からの「ガンマ線2本」を、バックグラウンド事象からの「ガンマ線2本」と区別してあげなくてはいけません。そのために考えたのは「重さ」でした。止まったヒッグス粒子が壊れて出来る「ガンマ線2本」のエネルギーを足し合わせると、ちょうどヒッグス粒子の重さになります。一方で、バックグラウンド事象からの「ガンマ線2本」のエネルギーを足しあわせても、何か決まった重さになるわけではありません。この性質の差を使って、ヒッグス粒子を見つけてあげましょうということが、前回考えたことでした。

前回の最後に、こんな問題を出しました。

東京ドームいっぱいのお客さんの中にクローン人間が変装して混ざりこんでいます。彼らは変装の達人なので外見では区別がつきません。唯一の手がかりは、彼ら全員の体重が同じであることですが、残念ながらそれが何kgなのかはわかりません。
さて、どういう方法で彼らの体重を推定すれば良いでしょうか?また何人紛れ込んでいるか予想するにはどうすれば良いでしょうか?良い方法を考えてみてください。


「クローン人間」を「ヒッグス粒子」、「クローン人間以外の一般のお客さん」を「バックグラウンド事象」に対応させて、ちょっとだけ話を身近にしてみたつもりです。どうでしょうか?色や形の無いものよりはずっとイメージしやすくなったのでは無いでしょうか?

ヒッグス粒子探しで一番難しいのは、「ヒッグス粒子の重さが分からない」ということです。ここではそれが「クローン人間の体重が分からない」ということに対応しています。片っ端から体重を訊いて回ったとしましょう。でもクローン人間の体重を事前に知っていないと、「体重XXkg・・・ではあなたはクローン人間ですね!」などと断言することは出来ません。

せっかくイメージしやすく擬人化したわけですし、実際にやってみることにしましょう。


あなた「ではみなさん、測定した体重を順番に教えてください。」
1人目「僕は59kgです」
2人目「私は67kgです」
3人目「みなさん軽いですね、私は71kgです」
4人目「僕は67kgです」
5人目「私は65kgです」
6人目「おや奇遇ですね、僕も同じく65kgです」
7人目「67kgです」
8人目「私は71kgです」
・・・


さて、誰がクローン人間だか分かったでしょうか?クローン人間は同じ体重ですので、その体重のところだけ人数が多くなるはずです。なんとなく67kgの人が多いような気がします・・・実際3人居ましたのでこの中で最多です。でも65kgも2人いますし、71kgの人もやっぱり2人います。どうもまだはっきりと断言できそうにはありません。
もうちょっと聞き込みを続けてみましょう。


ところが東京ドームにはお客さんがまだまだ一杯います。全員に体重を訊いて、いちいち覚えていたのでは大変です。はじめの方に聞いた体重なんか忘れてしまいます。もしお相撲さんなんか紛れ込んでいたりしたら、びっくりして記憶が全部飛んでしまうかもしれません。なにかもうすこし上手に整理する方法は無いでしょうか?
そうだ、せっかく広い場所なのですから、体重別に整列をしてもらいましょう。

クローン人間は全員同じ体重でしたから、全員同じ列に並んでいるはずです。絵を見ると、67kgのところにたくさん人が並んでいます。他の列には1〜3人くらいしか人が居ないのに、その列だけ7人も並んでいます。みんな知らんぷりしているようですが、列の長さを見れば一目瞭然です。その列に並んでいるのがクローン人間たちに違いありません!

実は同じ方法がヒッグス粒子探しでも使われます。
「クローン人間」だったところを「ヒッグス粒子」、「一般のお客さん」を「バックグラウンド事象」に置き戻して考えてみてください。
・・・ヒッグス粒子の重さはまだわかりません。なので、単に「ガンマ線2本組」を次々に見ていっても、それがヒッグス粒子から出来たものなのか、それともバックグラウンド事象からのものなのかは分かりません。でも「ガンマ線2本組」たちに、同じ重さごとに整列をしてもらえれば、ヒッグス粒子の重さのところだけ飛び抜けた長さになるはずです。たくさんの「ガンマ線2本組」の中から、ヒッグス粒子の重さのところをくっきりと浮き上がらせることができるのです!

さて、もう必要知識は十分揃いました。いよいよ実学へと進みましょう。
その前に一つだけ注意をしておきたいのですが、現実世界で体重を測定しようとすると、必ず「誤差」がつきまといます。同じクローン人間でも着ている服は違いますし、変装のためにお面をつけているかもしれません。これでは体重が少し変わってしまいます。たまたま風が吹いていたり、落ち着きなく動き回っている人を測ろうとしても測定結果はふらつきます。こういった場合、クローン人間たちの体重が67kgから少しずれて、65kgだったり、69kgとして測定されるかもしれません。
先ほどの図では67kgの列『だけ』がすごく長くなっていましたが、こうなってしまってはもう、67kgの『あたり』がなんとなく長くなるくらいの見た目になってしまいます。これでは見つけやすさは半減です。よくよく見比べてあげれば、そのあたりがこんもりとしているはずなので見つけてあげることはきっと可能なのですが、一目瞭然というわけにはいかなくなります。現実は理想とは違うようです。へこたれずに「こんもりとした山」を見つけてあげるとしましょう。

さて、覚悟は出来たでしょうか?だいぶ長くお話をしてきましたが、ようやく本題に入ることが出来ます 
おまたせしました、この図が去年のヒッグス粒子探しの結果になります。

いろいろな情報が書き込んであるので初めて見た人は面食らってしまうと思いますが、一つずつ見ていけば実はそんなに複雑にはなっていません。順番にゆっくりと見ていきましょう。

まずは右下を見て下さい。「mγγ(GeV)」と書いてあります。専門家向けの書き方なので難しいですが、これを日本語に訳すと「ガンマ線γ線)2本から計算した重さ」ということになります。まさに先ほどまで私達が考えていたものと同じです。
ここでは、重さを「GeV(ジェブ)」という特殊な「重さの単位」で表してあげています。素粒子物理学はとても軽い素粒子を扱う学問です。なので重さを「キログラム」で書いたりしたらゼロがたくさん並んでかっこわるくなってしまいます*1。そこで使いやすい単位を選んで、ゼロを省略してあげています。でも単に書き方の問題なので、イメージとしては単に「キログラム」だと思っていても構いません。

さて、左側を見てみましょう。100, 200, …, 900と数字が書き込んであります。先ほどののクローン人間の例えで言えば、これは「列に並んだ人数」に対応します。
一番左端の黒点を見てみましょう。下の軸から数字を読み取ると、"101"。単位はGeVですので、重さが「101GeV」ということになります。左側の軸から数字を読み取ると、この黒点は"730"くらいのところにありますので、この黒点は、「101GeVの重さになるγ線2本組は、全部で730個くらいありました」ということを表しています。
黒点にくっ付いている縦線は、「このくらいの範囲で数が揺れ動くかもしれませんよ」という幅を表しています。クローン人間の例えを思い出してみましょう。67kg以外の列に並んだ一般のお客さんの人数は、1~3人くらいの間で揺れ動いていました。ガンマ線2本組の数も同じように揺れ動きます。この縦線はその目安を表してあげています。

さて、これで黒い点々の意味がようやくわかりました。絵柄が無機質になってしまっただけで、図の意味自体は「お客さんたちに体重別に整列してもらった絵」と全く同じです。

では黒い点々を左端からゆっくり眺めていきましょう。はじめ730個あたりにあった黒点は、右に行くに従ってだんだん低くなってきます。この滑らかな部分は「バックグラウンド事象」だと考えられます。バックグラウンド事象は特別な重さを持ったりしないので、滑らかな形になります。でも重さが軽いほうが生み出されやすいといった大まかな傾向はありますので、こういう右下がりの形になっています。
(先ほどは無視していましたが、人間の体重測定でも同じように大まかな傾向はありえます。後楽園遊園地でヒーローショーをやっていたら子供が多いはずですので、きっと軽いほうが人数が多くなるでしょう。)

赤の実線が、黒点に沿うように引いてあるのに気づいたでしょうか?これはコンピューターが描いた「滑らかな線」で、つまりバックグラウンド事象の形を表しています。大体黒点と付かず離れずに沿っています。・・・唯一、125GeVから127GeVくらいの間で、黒点が三回連続して赤線より上側に行っています。黒点のふらつきを表すはずの縦線も、赤線から大きく離れています。どうもこの黒点たちは、たまたまふらついて上側に行ってしまったのでは無いようです。では一体何なのでしょうか? 
ーーー ヒッグス粒子を探し求めている人たちは、「この山のなかにヒッグス粒子が隠れているかもしれない」とにらんでいます。これこそが、去年CERNが会見を開いて発表した「ヒッグス粒子によるもの『かもしれない』山」なのです。

ただし、正直な話をしてしまうと、これはあまりはっきりとした山ではありません。たまたま偶然が重なって、「すごくふらついただけ」の可能性も十分ありえます。ですので去年の段階では、「ヒッグス粒子が見つかった『かもしれない』」という、歯切れの悪い発表しか出来ませんでした。

今年は去年以上のペースで、さらにデータを貯めていきます。するとこの山がもっとはっきり見えるようになるかもしれませんーそうしたらヒッグス粒子の発見になります。もしかしたら山は消えてしまうかもしれませんーそうしたら今見えている山は単に「すごくふらついただけでした」ということになります。どちらにしても、今年のデータに乞うご期待、ということになります。

さて、下側の図の説明をまだしていませんでした。この図は、上の図の黒点から赤線を引き算した「差」を描いたものです。125GeVから127GeVの間を見ると、やっぱり黒点が赤線より高くなっています。125GeVの黒点は20個分くらい、126GeVの黒点は30個分くらい、127GeVの黒点は50個くらい、赤線よりも上に飛び出していますので、もしこの山の中にヒッグス粒子が潜んでいた場合、だいたい100個くらいいるのだろうと推測できます。

ヒッグス粒子は未発見の粒子です。過去何十年にも渡って研究者が探し続けていたわけですが、ついぞ見つかること無く逃げおおせて来ました。もし上の図の山が本当にヒッグス粒子によって出来たものであるならば、私たちはついにその尻尾を捕まえたことになります。上手くバックグラウンドの人ごみの中に紛れ込んでいるつもりかも知れませんが、着々と包囲網は狭まりつつあります。
もちろんまだ断言は出来ません。でもこの山の下には、ヒッグス粒子が既に100個くらい作られて埋もれている、のかも知れません。・・・どうでしょう、少しわくわくしてきませんか?

さて、この山が本当にヒッグス粒子によるものなのかどうか、きちんと検証するためにはもっとデータが必要です。今年の中盤・後半にはきっと何かしらの続報があると思いますので、それまでぜひ期待してお待ち下さい。


(上の図は今年春に出版されたATLASの論文から引用しました。大学のキャンパス等からアクセスしている方はこちらから論文を見ることが出来ます:Phys. Rev. Lett. 108, 111803 (2012)。それ以外の方は、こちらからフリーで見ることも出来ます : arXiv:1202.1414。ぜひ御覧ください。)

( 佐々木・山口 : ご意見ご感想はmoreinteraction@gmail.com]までどうぞ

*1:無理矢理kgで表してあげると、1GeVは、0.000000000000000000000000002kgに相当します。