ヒッグス粒子のお話【第2回】

まずは前回の復習からはじめましょう。
CERNには、LHCという加速器があります。これは陽子同士をぶつけることで、高いエネルギー状態を作ることが出来る装置です。衝突点からは普段身近に存在しないような素粒子、例えばヒッグス粒子などが飛び出してくる可能性があります。でもヒッグス粒子はものすごく短い時間で他の素粒子へ崩壊してしまいますので、直接見たり捕まえたりすることは出来ません。きちんとヒッグス粒子が出来たかどうかを確認するためには、ヒッグス粒子が崩壊した後の素粒子を検出してあげて、そこから推測をしてあげるしか無いということでした。

ではヒッグス粒子は例えばどういう粒子に壊れてゆくのでしょうか?
いろいろな崩壊の仕方が考えられますが、その中でもまず真っ先に挙げられるのは「ガンマ線」です。あまり聞きなれない言葉かと思いますが、ガンマ線というのは「光」の一種です。性質は普通の光とほぼ同じ。ただエネルギーがとても(10000000000倍くらい)高い光なので、特別に「ガンマ線」というかっこいい名前が与えられています。もちろん単に「光」と思っていても差し支えは無いので、研究者の中でもしばしば「フォトン(=光子)」と呼ばれていたりします。
ヒッグス粒子はこのガンマ線2本に崩壊します。特徴的な崩壊の仕方なので、ヒッグス粒子探しでは一番注目を浴びています。

ところがこの「ガンマ線を2本検出」してヒッグス粒子の証拠にする方法には少しだけ問題があります。LHCはものすごく高いエネルギーで陽子同士を衝突させる装置です。ヒッグス粒子由来でなくとも、高いエネルギーを持った光が何本か出てくるようなことはしょっちゅう起こります。もしくは、検出器が勘違いをしてしまって、本当はガンマ線でないものをガンマ線だと報告してしまうようなこともたまに起こります。
そのため、「一回の衝突から2本のガンマ線が検出される」ということだけでは、本当にそれがヒッグス粒子から生まれたものなのか自信をもって判別出来ないのです。(この「ヒッグス粒子を探すのに邪魔になる事象」のことを、一般的に「バックグラウンド」事象と呼びます。反対にヒッグス粒子が出来た事象のことを「シグナル」事象と呼んでいます。)

さて、ではもっと積極的にヒッグス粒子の特徴を捉えるようなことは出来ないでしょうか?
人間だったら顔つきや体つき、髪の色に眼の色、といった特徴がすぐに思いつきますが、残念ながら素粒子に「大きさ」はありません。なので見た目の特徴というのは存在しません。
でも重さはどうでしょう?素粒子にも重さはあります。もちろんヒッグス粒子にも重さはあります。これを手がかりに出来ないでしょうか?
都合の良いことに、「バックグラウンド事象」は何か特別な粒子から光が出ているわけではありませんので、特定の「重さ」というものはありません。重さを測ったとしても、きっとランダムな大きさになるでしょう。これはヒッグス粒子との大きな違いです!

では二本のガンマ線から、ヒッグス粒子の重さを計算する方法について考えてみましょう。
ガンマ線は光の一種だということでした ー 光には重さがありません。だから、単に壊れて出来た光の重さを足しあわせても0kg+0kg=0kgですのでヒッグス粒子の重さにはなりません。おや、さっそく躓いてしまいました。ヒッグス粒子の重さはどこへ行ってしまったのでしょう?

実はここが素粒子物理学の不思議なところです。

アインシュタインが今から100年も前に提唱した「相対性理論」によれば、エネルギーが高い世界では「質量」と「エネルギー」が(条件さえ揃えば)入れ替わることが可能です。
あるとき突然、1gの重さのモノが消えて、それと同じ分のエネルギーに形を変えてしまうこともありえたりします。逆もまた然り。エネルギーを集めてきちんと条件を満たしてあげれば、新たに重さのあるモノを作り出すことが可能です。
質量を「金の延べ棒」、エネルギーを「円」だと思えばだいたいのイメージとしては正しいと思います。普段はそれぞれで流通していますが、きちんと手間をかければお互いに入れ替えることが可能です。変換レートもきちんと設定されていて、(エネルギー) =(質量)x(光の速さ)x(光の速さ)といった関係式があります。
(これを数式で表すとE=mc^2と書くのですが、これは少し物理に詳しい人や、SFが好きな人ならきっと聞いたことがあるのでは無いでしょうか?)

話を簡単にするため、ヒッグス粒子が止まった状態で生み出されたと考えましょう。このヒッグス粒子は、すぐに2本のガンマ線へと崩壊します。この時のガンマ線2本分のエネルギーを加え合わせると、ヒッグス粒子の質量をエネルギーに変換した分になっているはずです。つまり、(ガンマ線2本分のエネルギー)=(ヒッグス粒子の質量)x(光の速さ)x(光の速さ)となっています。実際のヒッグス粒子は動いた状態で生み出されますのでもう少し複雑な計算が必要になりますが、大まかには同じ方法で質量が計算できます。

すると私達がやらなくてはいけないことは、「ガンマ線のエネルギーをきちんと測定してあげる」ことになります。そのためにアトラス検出器に設置されているのが「電磁カロリメータ」という装置です。アコーディオンのような構造になっていますが、これは鉛と液体アルゴンを交互に重ねて束ねたものです。これが ー 手巻き寿司で言うとごはんのあたりに ー ぐるり円筒状に配置されています。

この中にガンマ線が飛び込むと、まずは鉛にぶつかります。エネルギーが高いため普段は透過力がものすごく高いガンマ線ですが、さすがに分厚い鉛の板が相手では素通りは出来ません。対生成という反応が起こって、電子と陽電子に分かれてしまいます(陽電子というのは電子の反対の電気を持った粒子です)。この電子と陽電子は元のガンマ線の勢いを引き継いで、すごい速さで飛び去ろうとします。そうはさせるかと鉛の原子核が引きとめようとするのですが、すると今度は制動放射という反応が起こって、電子・陽電子からガンマ線が飛び出してきます。こうしてまたガンマ線が生まれて、はじめに戻ります。

このループを繰り返すたびに、粒子の数はねずみ算式に増えていきます。いわゆる倍々ゲームですので、あっという間にものすごい粒子数になってしまいます。当然「1つあたりの粒子が持つエネルギー」はどんどん少なくなっていくので、最後に残るのは大量のひょろひょろ電子だけになります。末広がりに粒子が枝分かれしていくこの過程は、遠くから眺めるとさながらシャワーのようですので、「電磁シャワー」と呼ばれています。

液体アルゴンの中に漂うひょろひょろ電子は、両端に取り付けられた電極から電気信号として読み出されます。この電気信号の大きさを調べることで、元のガンマ線のエネルギーを知ることが出来るという構造になっています。

先程述べたように、このエネルギーを足しあわせてあげると、元の粒子の重さを計算してあげることが出来ます。もし元の粒子がヒッグス粒子なら重さは一定になりますが、「バックグラウンド事象」ならば決まった重さは無いので、ランダムな重さを指し示します。(エントリーの最後にこの件に関して一つだけ宿題を出しておきます。もし時間があったらぜひ考えてみてください。)
ここまでわかっていれば、もうほぼヒッグス粒子探索の全容を理解したと言ってもいいのではないかと思います。そろそろ実学へと進みましょう。

次回は「ヒストグラム」というものの読み方を少しだけ勉強して、それからいよいよ去年のヒッグス粒子探しの結果を見ていくことにしましょう。

宿題:
東京ドームいっぱいのお客さんの中にクローン人間が変装して混ざりこんでいます。彼らは変装の達人なので外見では区別がつきません。唯一の手がかりは、彼ら全員の体重が同じであることですが、残念ながらそれが何kgなのかはわかりません。さて、どういう方法で彼らの体重を推定すれば良いでしょうか?また何人紛れ込んでいるか予想するにはどうすれば良いでしょうか?良い方法を考えてみてください。


( 佐々木・山口 : ご意見ご感想はmoreinteraction@gmail.com]までどうぞ